日本勢の不振に対する雑感と、そこから得られた自戒
2010年9月7日 戦略記事・読み物 コメント (2)日本語公式サイトに、今回のPTにおける日本勢の不振を反省する記事が掲載されています。
(http://mtg-jp.com/eventc/ptams10/article/008381/)
僕は基本的にこの記事内におけるプロプレイヤー達の発言には批判的です(記事自体を批判しているわけではないことに注意)。
大会形式の変更は参加者全てに平等だから理由にならない(個人的にはジグザグフォーマットは嫌いなのですが、それは別の話)し、デッキ構築や情報戦の話題に至っては、直接的な表現は避けているとはいえ他者に責任を押し付けあっているような発言が随所に見られて正直、醜い。
数人は自戒を込めた発言を繰り返しているプロもいるけれど、逆にやたらと環境や他者のせいにしている人もいる。名前は挙げないけど、一通り何度か読めばだいたい判ると思う。
国内プレイヤー層の二重構造化について憂慮したり、情報が上がってこないことに関する問題提起も見られるけど、自分はそもそも「草の根で生まれたデッキがプロによって洗練されて世界の舞台へ」というストーリーはもう過去の物になったんだと思っていました。
最近それを一番強く感じたのが、グランプリ仙台でキブラーバントを見たときですかね。もしかしたら仙台の時点で十分にメジャーだったのかもしれませんが、僕くらいの一般人プレイヤーの目には「海外製のデッキリストを貰えた日本人プロが喜んで使い、しかも肝心の優勝は製作者本人に持って行かれてる最高にカッコ悪い姿」としか映りませんでした。
そんな感じで、繰り返しになりますが僕はこの記事内で行われた数多くの発言に対して批判的な評価をしています。
しかし、これも繰り返しになりますがこの記事が書かれて日本全国に発信されている、ということは非常に重要なことです。
例えば僕はここ最近、「面白そうなデッキも勝てるデッキも無いし、もうすぐ環境変わるからスタンはしばらくいいやw」みたいな態度を取り続けていたり、とりあえずコピーデッキを組むところから始めたりしていたのですが、そういった自分を見つめ直すいい機会になりました。
もうちょっと昔はかなり頻繁に新しいデッキリストを組んではこのブログに掲載し、また崩しては新しいのを組む…ということを繰り返していました。時には素人なりに環境のメタゲームや大会の結果を整理して分析したり、また時にはテーマを決めて大型のコラムを連載したこともありました。そういったことがこのブログの特徴であり、読者の皆様にもそれで多少は楽しんでもらえていたようなのです。
それが今となってはどうでしょう。過去記事を見ても、どこもかしこも「大会レポ」のタグばっかり。もちろん大会結果を記録するためにブログをする、という選択は十分立派なことで、そういった人々を非難する気など毛頭無いのですが、少なくとも僕はそれだけで満足しない人間だったはずなのです。
どうせカード高くて揃わないからデッキ組まなくてもいいし、あと60枚形にするのがめんどい…みたいな考え方が、いつからか続いていました。昔はそんなこと考えずにリストを組み上げてプロキシやMWSで回しまくって、本当に使いたいものができたら借りるなり頑張って買うなりして揃えてたので、理由にはならないんですが。
たぶん、自信満々で組んだオリジナル・デック(白単)が、十分対策したはずのジャンドにボコボコにされた時に僕の心は折れてしまったんだと思います。確か、そこからジャンド教に入信することを決心したのでした。
結果的にこの一年間、「メタられる立場のデッキを使い続けてプレイスキル・調整スキルを向上させる」という訓練ができたと肯定的に捉えてもいいでしょう。しかし、メタ外デッキを見下すような思想に陥り始めていたのも事実です。結果として「『誰かが』作ってくれた『強いデッキ』がないとマジックやる気にならない」というような、勘違いも甚だしい態度になっていたように思えます。
ただでさえ乏しい構築能力や文章能力が、長いことサボりすぎていたせいでさらに劣化していることは明らかです(実際、この程度の長さの文章を打っているだけで既にちょっと面倒臭くなってきました。かつて記事4本立てのコラムを一晩で書いていたとは思えません)。
なのでリハビリに多少は時間がかかるとは思いますが、また初心に還って「思考手帖」の名に恥じない記事を提供して行きたいと思います。
(http://mtg-jp.com/eventc/ptams10/article/008381/)
僕は基本的にこの記事内におけるプロプレイヤー達の発言には批判的です(記事自体を批判しているわけではないことに注意)。
大会形式の変更は参加者全てに平等だから理由にならない(個人的にはジグザグフォーマットは嫌いなのですが、それは別の話)し、デッキ構築や情報戦の話題に至っては、直接的な表現は避けているとはいえ他者に責任を押し付けあっているような発言が随所に見られて正直、醜い。
数人は自戒を込めた発言を繰り返しているプロもいるけれど、逆にやたらと環境や他者のせいにしている人もいる。名前は挙げないけど、一通り何度か読めばだいたい判ると思う。
国内プレイヤー層の二重構造化について憂慮したり、情報が上がってこないことに関する問題提起も見られるけど、自分はそもそも「草の根で生まれたデッキがプロによって洗練されて世界の舞台へ」というストーリーはもう過去の物になったんだと思っていました。
最近それを一番強く感じたのが、グランプリ仙台でキブラーバントを見たときですかね。もしかしたら仙台の時点で十分にメジャーだったのかもしれませんが、僕くらいの一般人プレイヤーの目には「海外製のデッキリストを貰えた日本人プロが喜んで使い、しかも肝心の優勝は製作者本人に持って行かれてる最高にカッコ悪い姿」としか映りませんでした。
そんな感じで、繰り返しになりますが僕はこの記事内で行われた数多くの発言に対して批判的な評価をしています。
しかし、これも繰り返しになりますがこの記事が書かれて日本全国に発信されている、ということは非常に重要なことです。
例えば僕はここ最近、「面白そうなデッキも勝てるデッキも無いし、もうすぐ環境変わるからスタンはしばらくいいやw」みたいな態度を取り続けていたり、とりあえずコピーデッキを組むところから始めたりしていたのですが、そういった自分を見つめ直すいい機会になりました。
もうちょっと昔はかなり頻繁に新しいデッキリストを組んではこのブログに掲載し、また崩しては新しいのを組む…ということを繰り返していました。時には素人なりに環境のメタゲームや大会の結果を整理して分析したり、また時にはテーマを決めて大型のコラムを連載したこともありました。そういったことがこのブログの特徴であり、読者の皆様にもそれで多少は楽しんでもらえていたようなのです。
それが今となってはどうでしょう。過去記事を見ても、どこもかしこも「大会レポ」のタグばっかり。もちろん大会結果を記録するためにブログをする、という選択は十分立派なことで、そういった人々を非難する気など毛頭無いのですが、少なくとも僕はそれだけで満足しない人間だったはずなのです。
どうせカード高くて揃わないからデッキ組まなくてもいいし、あと60枚形にするのがめんどい…みたいな考え方が、いつからか続いていました。昔はそんなこと考えずにリストを組み上げてプロキシやMWSで回しまくって、本当に使いたいものができたら借りるなり頑張って買うなりして揃えてたので、理由にはならないんですが。
たぶん、自信満々で組んだオリジナル・デック(白単)が、十分対策したはずのジャンドにボコボコにされた時に僕の心は折れてしまったんだと思います。確か、そこからジャンド教に入信することを決心したのでした。
結果的にこの一年間、「メタられる立場のデッキを使い続けてプレイスキル・調整スキルを向上させる」という訓練ができたと肯定的に捉えてもいいでしょう。しかし、メタ外デッキを見下すような思想に陥り始めていたのも事実です。結果として「『誰かが』作ってくれた『強いデッキ』がないとマジックやる気にならない」というような、勘違いも甚だしい態度になっていたように思えます。
ただでさえ乏しい構築能力や文章能力が、長いことサボりすぎていたせいでさらに劣化していることは明らかです(実際、この程度の長さの文章を打っているだけで既にちょっと面倒臭くなってきました。かつて記事4本立てのコラムを一晩で書いていたとは思えません)。
なのでリハビリに多少は時間がかかるとは思いますが、また初心に還って「思考手帖」の名に恥じない記事を提供して行きたいと思います。
コメント
単に同着だったらしい。そういうこともあるんだなーという感じ
あ、そうだったんですか。じゃあこの書き方は微妙かな…
まあいいか。カッコ悪かったのは事実ですしw