Diarynoteの更新停止期限が30分後に迫っていることを思い出し、2年振りに管理画面を開いた。もうログインできないかと思っていたけど、ブラウザが今は使っていないメールアドレスと当時のPWを記憶してくれていた。

おそらく全く意味はないが、最後の日記を書く前の礼儀としてメールアドレスを現在使っているものに登録し直した。青春の一ページを担ってくれたDiarynoteへの礼儀というか、親愛の証のような。いつか過去の日記を読み返しに来ることもあるだろう。

ほぼ大学入学と同時にDiarynoteを始めた自分はあまりにも井の中の蛙で、自分の構築したオリジナルデッキや戦術論、PTQどころかGPTですらない小さな大会のレポートが大いなる価値を持つと確信してひたすらキーボードを叩き続けた。
まとまりのない長いだけの素人記事に、しかし意外にも多くの方々が共感や反応、コメントを寄せてくれることが何よりも幸せだった。

Diarynote全盛期、いくつかのアンテナサイト(放課後まじっく倶楽部さん、Private Squareさん、その他)に自分の記事が捕捉され、一気にアクセス数が増えることが最大の喜びだった。自分が何者かになれた。若くて世界が見えてない自分にはそう錯覚するには十分なまでの承認欲求を満たす経験だった。

大学院進学、そして就職を経て大阪→東京→札幌→横浜と比較的大きな移動を約5年ほどの短い期間に経験した。それでも自分が全く寂しくない、むしろ楽しい日々を過ごし続けられた理由はマジック、マーフォーク、そしてこのDiarynoteのおかげだった。
移動先でコミュニティに溶け込むにあたり、この「ポリスの思考手帖」が、そしてアイコンのシグが、名刺代わりになったことに驚きを隠せなかった。いたのだ。日本の至るところに、こんな拙い技術や文章だらけの日記を愛読してくれていた方々が。
その時に気付いた。鋭い考察や高度なプレイスキル、または高い文章力によって彩られるブログが多大なる人気を誇る一方で、熱量や勢い、こだわりしか持たない人間にも一定の需要があるのだと。

マジックのおかげで、このブログのおかげで、日本各地で沢山の友人ができた。結婚式には自分がマジック人生を過ごした全ての拠点の友人に出席していただくことができた。友人が増え続けることでマジックのモチベーションは途絶えることがなく、就職し、結婚し、子供ができてからも大会に参加することができて、一介の準競技プレイヤーとしてはほぼ最大限の目標-国内グランプリTOP8進出とプロツアー(すでにプレイヤーズツアーと名前を変えていたが、プロツアーだ。僕にとっては)の出場ーも叶えることができた。

幸せだ。これ以上ないほどに。

あと10分ほどで更新締め時間が来てしまう。間に合うだろうか?少なくともコメントをもらうことはできないだろう。Twitterには連携しておく。(余談だが、GPで知り合った若者にDNを名刺代わりに自己紹介しようとしたらDNの存在を知らず、Twitterアカウントを交換したことがある。年をとったな、と思った)

2020年の国内最後のグランプリ、GP名古屋でTOP8に入賞したあとはリアルイベントに一度も参加できておらず、アリーナでも数えるほどしかプレイできていない。それでもまだマジックから気持ちは離れていない。

環境の変化に、ここ数年では切っても切り離せないコロナがピンポイントで重なってしまった。それでもマジックは頭脳スポーツで、それこそお爺ちゃんになってもプレイできるだろう?というのは昔から言われ続けていたことだ。

マジックをやろう。またいつか、リアルイベントのグランプリに出よう。
そこで皆と合って思い出話に花を咲かせながら土地をタップして、クリーチャーをレッドゾーンに滑り込ませて、本体に火力を打ち込もう。

自分が認めないかぎり、青春は終わらない。
ありがとうDiarynote。これからもよろしく、マジック。

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